北京五輪を終え上海万博を迎えようとする中華人民共和国は、未曾有の経済成長を遂げつつある。その強い流れは実店舗における景気感の高揚だけでなく、対消費者向けの電子商取引の分野でも高い成長を喚起している。中国における電子商取引はどのような発展の道を歩んできたのか、そして将来像はどのように描かれているのか。本稿では、2002年頃から現在に至るまで、中国の電子商取引市場の発展を支える人々に行ったインタビューと実態調査に基づき、新しい市場である電子商取引という場の可能性について考えてみたい。
国立情報学研究所情報社会相関研究系准教授。大阪大学大学院国際公共政策研究科博士(後期)課程修了。電子商取引における消費者行動を主な研究テーマとし、日本・中国・韓国でのアンケート調査などを行っている。『電子マネーがわかる』(2008年・日本経済新聞社刊)ほか著書多数。
スーパーカー世代
上海に租界時代の面影を残す徐匯区には、今もフランス様式の洋館が建ち並ぶ。庭園をパーティ用に開放するその館は、流行に敏感な若者たちが夜ごと集まる音楽の社交場であった。
日本流にいえばユーロビートの流れる二階建ての店内では、アルマーニのスーツに身を包んだビジネスマンが仲間たちと酌み交わす。路上にはマゼラッティが無造作に止められている。
彼らは、新しい中国を牽引する八○后世代の成功者たちである。上海交通大学や北京の清華大学といった一流大学を卒業し、英語とパソコンを自在に操るエリートたちは、外資系企業に勤めて高い報酬と評価を得る。イタリア車を乗り回すのは特別な成功を収めた者で、起業して富を得た若き経営者である。
鄧小平による改革開放政策の進んだ1980年以降に生まれた彼らが、今中国の社会を大きく動かそうとしている。
最高速度430km/hを誇る上海トランスラピッド。浦東国際空港駅と上海市郊外30kmを7分20秒で結ぶリニアモーターカーである
中国の家計において平均収入を論じることは難しい。
2004年12月に中国の国家統計局が初めて中産階級の定義を発表し、1世帯(すなわち3人家族)で年収6万元から50万元の層を指すものと報道された。
後に否定されたこの定義にあてはめると、2005年当時で6500万人が中産階級に属するとした試算もある。
中国が総じて豊かになったわけではない。貧困層との格差はさらに拡大し、地方からの出稼ぎ労働者の年収は無技能者の例で一万元にも満たない。所得格差は都市民の間でも拡がっている。
同じく国家統計局が2004年7月に公表した都市民5万人を対象とした調査によると、一人当たり平均可処分所得(半年分)は4815元であった。このとき調査対象の上位10%の平均は13322元、下位10%の平均は1397元と、上下では10倍近い格差があった。一桁以上の格差が広がるこの状況を指して、LOG(対数)の経済と名付ける識者もいる。
中国の一般労働者。彼らの低賃金労働が国際競争力の源泉となる
所得格差の大きさは、マーケティングにも直接的な影響を及ぼす。
都市民が平均4815元で半年間に買えるものは、日本製の化粧水なら11個、北欧製の携帯では1個だが、日本製の280万円の乗用車を買うには40期20年かかる計算となる。
都市民を対象として厚いマーケティングを狙うのであれば、平均的な消費者が月に1度か2度の購買を楽しめる価格層にしぼりこんで、実際に買えそうな価格の物と、手を伸ばせば届きそうな物を並べてみるのがよさそうだ。
高級化粧品やデジタル家電といった、若者にとって手の届きそうな品物の数々。日本製の品質の良い物を求める傾向のある八〇后世代の若き消費者たち。彼らの消費欲に応える場として登場したのが、中国の新市場、電子商取引マーケットであった。
銀聨覇者と天下三分
2002年、中国人民銀行主導による銀行間決済ネットワークとして、「中国銀聯(China Union Pay)」が発足。現在の加盟銀行は200を超す巨大なオンライン決済システムである。利用者は、日本におけるキャッシュカードと同じくATMから預金を引き出せるほか、ショッピングの際にはデビットカードのように使うことも出来る。店頭で銀聯カードを提示し、暗証番号を入力して認証をおこなうと、その場で口座から引き落とされる仕組み。
一口に都市民といっても所得に10倍の開きがある上海や北京などの大都市で、潜在的な対象となる6500万人もの人々を見つけ出すのは容易ではない。
携帯電話が人口の数ほど普及している中国では、携帯を持っていることは所得の指標にはならない。
海外に足繁く出かける一部のビジネスマンを除いて、日本のように航空マイレージの会員をターゲットとするマーケティングも成立しない。そこで有力な指標となるのが、クレジットカード保有層を切り口としたアプローチである。
中国で十数億もの発行枚数を誇る銀聯ブランドのカードは、借記カード(デビットカード)として普及した。
銀行聯合という名前が示すとおり、フランスのカルトバンケール(銀行協会)に似ていて、本来は決済ネットワークの名称であった。銀聯のブランドを冠したカードは、やがて準貸記カード(ディレイデビット)や貸記カード(クレジットカード)の機能をも持つようになる。
そして、2004年時点ではすでに2900万枚を超えていたとされるクレジットカードの保有者こそが、新たな市場の有力なターゲットである。これらカードの一部は、欧州や米国系の国際ブランドのロゴを銀聯のロゴと並べる国際カードである。
2007年12月、三井住友カードは中国への日本人渡航者をターゲットとして銀聯ブランドのカードを発行開始
銀聯ブランドのカードは、銀行だけが発行会社となることができ、しかも銀行聯合の決済ネットワークを利用することで安全に発展してきた。
ブランド管理から決済ネットワークに至るカードビジネスの全てのレイヤーを、中央銀行が直接または銀行を介して間接的に管理することのできる中央集権的な構造をとる。
こうした垂直統合型のビジネスモデルは、ブランド管理と他の層を分離して参入を促そうとする水平分離型をとる国とは対照的である。短期間で効率的に国家インフラを構築するのには適しているが、さらなる成長を遂げるべき段階では時として停滞をもたらす。
垂直統合型の持つこうした弱点を補うために、諸外国の策をまねて水平分離の策をとることなく、中国の政府はしばしば諸葛孔明の策に学び天下三分の計を説くという。
すなわち国家の意を受けた安定した企業体の二つほど存在するところに、あえて才気あふれる若い企業体を一つ参入させる。その役割は、海外の最先端の動向をいち早く取り入れ、業界の活性化を図ることにある。
こうして国家インフラの安定性と業界の健全な発展という相容れない要請を、いとも巧みに調和させようとするのが華流資本主義の真髄である。
果たして、中国のカードビジネスが忘れていたものとはなにか。
中央銀行の主導で普及した銀聯ブランドのカードは、欧米や日本の国際ブランドのような顧客向けのサービスという感覚を欠いていた。ここにビジネスの芽を見つけたのが、日本でマーケティングを学んだ八〇后世代の若き経営者である。
彼らはクレジットカードホルダーを中国の新・富裕層と位置付け、会員としての囲い込みと富裕層向けサービスの提供を始めた。
その延長線上で始まったのが、新・富裕層をターゲットとした電子商取引のサービスであった。会員の平均月収は八千元を上回り、上海の都市民の平均月収のおよそ4倍である。35歳以下の会員が全体の65%を占めており、外資系企業に勤める高学歴の若者が新・富裕層の中心を占めることを証明した。