ケーススタディ2 宇治市個人データ漏えい事件を考える

2014年3月25日

黎明の法体系ゆえに判例の積み重ねが意味を持つ

 以上により、宇治市は、宇治市民Xらに対し、使用者責任(民法715条)を負わなくてはならない。
 ちなみに、第一審(京都地判平成13年2月24日)は、請求を一部認容し、弁護士費用を含め4万5,000円の支払を命じた。控訴審(大阪高判平成13年12月25日)では、市の控訴を棄却、請求を一部認容し、被控訴人である市民に対し、慰謝料1人あたり1万円、弁護士費用5,000円の支払いを命じている。
 その後、宇治市は最高裁に上告したが、平成14年 7月11日最高裁第一小法廷は、上告不受理の決定を下し、高裁判決のとおり確定した。

 原告(被控訴人)1人あたりに1万5,000円。
この種の裁判は、決着が着くまでの長い道のりと実際の訴訟費用を考えるまでもなく、たとえ勝訴判決をもらっても、その精神的な満足は得られたとしても、訴訟費用など数十万円以上負担して手にする損害賠償額はわずか1万5,000円である。
比較的軽微な個人データの漏えい事件では、訴訟はあまりに負担の重い救済制度というほかない。そこで行政規制の出番ということにもなり、個人情報保護法にも本人救済のための大きな期待が寄せられたところでもあった。期待通りであったかどうかは別にして・・・・。

 一方、損倍賠償を負担する市やその求償を受けかねないシステム開発事業者等委託先からみると、1人あたりは1万5,000円であったとしても、その流出データの件数(ここでは20万人分のデータ)を掛けた場合にはとてつもない金額にふくらむではないかということが、よくいわれたりするが、この損害賠償は、原告に名を連ねた数名の市民だけに支払われる。本件は3名であった。

 例えば15,000円×20万人=30億円といった数字を出してくることがあるが、日本には米国のような集団訴訟の制度はないため、30億円を理論上の上限額といっていいのかどうか疑問である。
もちろん今日ではインターネットで被害者に呼びかける手法なども可能であることから原告に加わる人数が増加していくことも考えられる。現に実例があるが、今のところ多数が押しかけるということはない。仮に数万人が押し寄せてきた場合、はたして法律事務所の事務処理能力が耐えられるかどうか、割に合うかどうかも問題であろう。

 一方、加害者側が任意でお詫び料を支払うのは、ここで述べている損害額(慰謝料)とは性質が異なる。それは、交通事故で被害者にお見舞いにいくときの花束や菓子折の類と同じであろう。
相手に誠意が通じれば、訴訟沙汰に発展せずに収まるかもしれない。したがって、この場合は、被害者全員を対象に、お詫び状等とともに500円〜1000円ほどの金券を配布することがままみられる。(案件によってはもっと高額の場合もある。)

 この場合は、500円〜1000円×被害者の人数という金額が必要となる。
情報漏えい保険などでは、裁判で確定した損害賠償額とこのお詫び料とを明確に分けて保障しているので、よく確認してみるとよいだろう。支払うリスクの小さい損害賠償額を数億単位、支払うリスクの大きいお詫び料の方を数百万円から3000万円ほどに抑えている商品が多いのではないだろうか。

 このように裁判は割が合わないものであるが、一つの市民運動的な視点からみれば話は変わる。裁判によって事実関係が明確になり、かつ公表されるという大きな意義があるからである。
判決が下されれば新聞報道等を通じて世間に再度周知され、関心も高まり、市の再発防止策などを強化する圧力にも再検証を加える圧力にもなる。また、本稿のようにリスクマネジメントの題材ともなって、さまざまな教訓を得ることができるようにもなる。

 事件を起こした側は、できれば早期に人々の記憶から消し去りたいという思いにかられるのかもしれないが、むしろ積極的にその詳細を公開し、また改善策の手法を公表し、社会の安心安全に寄与するよう努めるべきだろう。これもまた企業・団体の社会的責任の一つと捉えて、社会もまたそれを高く評価していく風土をつくっていくべきではないだろうか。

 宇治市の事例は多くの自治体の対策のケーススタディとなり、その対策の強化に寄与したところがある。特に情報漏えいという失敗は、大小問わなければ誰もが経験しているはずである。失敗を責めることよりも、むしろその失敗の事実関係と対策を詳細に公表させ世の中に還元することを促す制度設計も必要であろう。

カテゴリー:ケーススタディ |