与野党合意の元、今次参議院選挙から導入されると思われたネット選挙解禁法案。流動する政局の煽りを受けて法案成立はならなかったが、政党はもとより多くの有権者が、インターネットで変わる選挙の姿をリアルに捉える端緒となったのは間違いない。だが、ネットはあくまでもツール。その先にどのような政治のあり方が描けるのだろうかーー。民主党、自民党、そして第三極を狙うみんなの党、各党へのインタビューをもとに、山口浩駒澤大学准教授が総括する。
田嶋要(たじまかなめ)
1961年生まれ。東京大学法学部卒。米国ペンシルバニア大学ウォートン校経営学修士(MBA)。NTTグループ、ゴールドマン・サックス社などを経て、1998年より衆議院議員(民主党・千葉1区)。行政刷新会議事業仕分けメンバー、国家成長戦略策定メンバー、民主党インターネット選挙研究会会長などを務める。
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新藤義孝(しんどうよしたか)
1958年生まれ、明治大学卒。公務員、川口市議会議員を経て、1996年より衆議院議員(自民党・埼玉2区)を務める。総務大臣政務官、続いて外務大臣政務官、経済産業副大臣などを歴任し、現在は自民党総務副会長。ネットメディア局長、自民党ネットサポーターズクラブ(J—NSC)代表として、自民党のインターネット戦略を牽引している。
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民主党はネット選挙解禁を国民に対して表明したにもかかわらず、実現できなかった。しかも法案の運用方法まで与野党で合意していたにもかかわらず、だ。まさに日本の政治が機能不全に陥っている証左でもある。...
浅尾慶一郎(あさおけいいちろう)
1964年生まれ。東京大学法学部卒。日本興業銀行入行。米国スタンフォード大学経営大学院修士(MBA)。1998年より参議院議員(民主党・神奈川県選挙区)を2期務める。この間に、参議院財政金融委員長、民主党「次の内閣」外務相、防衛相などを歴任。2009年総選挙で衆議院議員(みんなの党・神奈川4区)に転じ、現在は、みんなの党政策調査会長。
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参議院選挙前に公職選挙法の改正はなされなかったが、内閣が変わったとしても民主党が衆参で予算委員会を開いたり、あるいは代表質問の際でも法案を通そうとしていれば、通せたのにやらなかった。...
山口 浩(やまぐちひろし)
1961年生まれ。1963年生まれ。東京都立大学(現・首都大学東京)法学部卒。経営学博士。現在駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部准教授、国際基督教大学社会科学研究所研究員。著書に『リアルオプションと企業経営』、共著に『金融・契約技術の新潮流と企業の経営戦略』ほか多数。インターネットの普及が人間行動と社会構造にもたらす変化に早くから注目しており、提言は多分野に渡っている。
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ネットの発達と普及で、国民の政治に対する関わり方が少しずつ変わってきたことは実感している。ネットにより、少数の送り手側が一方的に情報を発信し、大多数はただ受けるだけというこれまでの状況は崩れた。...
ネット選挙解禁の意義
「せっかく選挙期間中のブログ更新の記事の作成や、動画配信の撮影までやっていたのに…インターネットの活用も選挙戦略の中に入っていたので、やりたかったのに…」(参院選全国比例代表候補関係者)「(ネット選挙解禁で)政治家としては今以上に情報発信がやりやすくなる。(全面解禁が望ましいが)メールの配信だけでも解禁されれば、かなりの効果が出てくるのではないか」(みんなの党政調会長浅尾慶一郎氏)
参議院選挙は7月11日の投開票に向けて大詰めを迎え、各党最後のラストスパートに向けて、演説や握手にも力が入る。
一方、今回の参院選挙では「ネット選挙」が解禁されるとの見方が大勢を占めていた。一般的に、選挙期間中のインターネットの利用は、公職選挙法第142条1項の「文書図画の頒布」にあたると解釈され禁止されているため、選挙期間中に候補者はウェブサイト更新や電子メール配信をできない。このルールが現状に合致していないので、「公職選挙法を改正して選挙期間中もインターネットを選挙活動に利用できるようにする」ことが「ネット選挙解禁」の主旨だ。
こう語るのは、民主党内で「インターネット選挙運動解禁研究会」の会長として、ネット選挙解禁に向けて法案成立に尽力してきた田嶋要氏だ。現に「これまで禁じられていた選挙期間中のウェブサイトやブログの更新を、候補者と政党に限って認める」ことで与野党で合意し、法案成立も時間の問題とみられていた。
“解禁”不発を取り巻く諸問題
ところが、突然の首相交代、さらに国会の会期延長がなされなかったことで、ネット選挙解禁は見送りとなってしまった。
これについて浅尾氏は、
と述べ、自民党ネットメディア局長の新藤義孝氏も
「(法案が成立しなかったのは)まさに日本の政治が機能不全に陥っている証左でもある」 と、法案成立より政局を優先させた民主党を批判する。
また、今回のネット選挙解禁は、実は多くの候補者や現職議員が取り入れているtwitterに関しては、対象に含まれていなかった。この点についても、
「やはりtwitterを含めて全面的な解禁をすべきだと思う」(浅尾氏)
と、全面的な解禁を望む声も少なくない。
古巣民主党の国会運営を厳しく批判する浅尾氏
もちろん落胆の声は有権者サイドからも上がっている。しかし、批判の矛先が向かうのは与党にとどまらず政治家全体だ。インターネットを介した情報発信があらゆる分野で行われている状況に対し、政治家の認識と取り組みはあまりにも遅かったのではないだろうか。普段活発に使われているインターネットツールが選挙期間中だけ禁止されてきたのは合理性を欠くし、それがようやく解禁に向かったとはいえ、対象が政党や候補者に限定されている点で不十分だ。山口浩駒澤大学准教授は、こうした有権者の不満について、
「本来はインターネットという新たなコミュニケーションツールが登場したとき、これについて十分に政治家が議論すべきであったが、その議論を深めないままに来てしまった。法改正の動きが出たこと自体は歓迎すべきだが、ネットユーザーの立場からすれば『我々が普通に用いているツールが『違法』になるとは何なのだ!』という意識であろう。twitterの扱いを見ても、国民自身による情報発信に対する警戒感が政治家全体としてはいまだ強いということではないか」 と分析している。たしかに、ネット選挙解禁に対しては「なりすまし」や「誹謗中傷」の問題点が指摘され続けており、政治家サイドの警戒感を端的に表しているだろう。
ただ、そうした声が党内の一部に存在することは認めつつも、田嶋氏は、
「ネット選挙解禁は不可避の流れ」と今後の意欲を語る田嶋氏
と、有権者も含めたネット選挙解禁の意義を説き、党内のさらなる取りまとめに意欲を見せる。
一方、自民・民主ほどの人的・物的資源を持たない政党にとって、ネットを介したネガティブキャンペーンへの対処は現実的に難しい。こうした懸念から、浅尾氏は、
と、法律の運用面での公平性確保を唱える。
いずれにしても、若干の抵抗を含みながらも、ネット選挙全面解禁へ向けての合意形成が進みつつあるのは確かなようだ。2011年春に行われる統一地方選挙では、その結実を是非期待したい。
変貌する国民と政治の関係性
現行の公職選挙法が制定されたのは、昭和25年(1950年)のこと。敗戦日本がまだアメリカに占領されていた時代である。候補者間の公平で公正な競争を担保するという同法の基本理念は至極もっともだが、時代の変遷に取り残されつつあるのも確かだ。インターネットの普及により、すでに有権者の政治参加の形には大きな変化が起きつつあるが、ネット選挙解禁によって追認されれば、この流れはさらに加速されることだろう。
「キーワードは『情報公開』です。ネットを通じて選挙期間中も発信することができれば、有権者に繋がるチャンネルが増えるし、有権者がネットを通じて侃侃諤々の議論ができるようになる。確かに解禁によるデメリットはあるかもしれないが、それ以上に日本の民主主義の成熟、底上げに繋がると私は信じている」(田嶋氏)さらに自民党ではネット発の有権者からの新たな動きに手ごたえを感じているようだ。
JNSC会員証を手に取る進藤氏。すでに会員数は6000人を超えているとか
と、ネット経由で有権者が政治へと関わる新しいスキームができたことを歓迎する。
興味深いのは多くの政治家がtwitterの登場を歓迎していることだ。浅尾議員は既にフォロワーの数が3万に近づいており、
「現にtwitterは私自身の政治活動に目覚ましい勢いで影響を及ぼしつつある。情報の質に関しては、メールやブログの時代とは桁外れに変わってきていると感じている」(田嶋議員)
と、twitterに次世代の政治のあり方を感じている。かつて政治家が有権者とつながるには、後援会や支援団体などの既定の枠組みを経るしかルートが無かった。こうした太くて狭い紐帯の時代から、細いけれども広がりを持った紐帯の時代へと政治の現場も進んでいるのだろう。
ネット選挙解禁は、日本の政治をどこに導いていくのか。山口氏はこう語る。
ネット時代の政治へ、期待と危惧を語る山口氏
すでにメディア・コンテンツ業界では、少数の送り手側が一方的に情報を発信し、大多数はただ受けるだけというこれまでの状況が崩れている。受け手側にいた人の一部が送り手側に回り、小さな情報の流れがつながっていくことで、社会全体の情報の流れが活性化していく。こうした大きな構造変化と同じことが、政治の分野でもおこりつつある。
もちろん、国民からの情報発信が増えることが、必ずしも質の高い政治につながる保証はない。むしろそこは今後私たち自身が課題としていかねばならないが、いまさら後戻りを考える状況ではない。新しい道具をうまく使い、よりよい社会を作るために、現在のやり方を少しずつでも見直していく必要がある」
ネットの存在はこれまでの社会に存在していたあらゆる『区分け』を簡単に越える可能性を秘めている。地理的区分で分けられた現状の選挙区のあり方もいずれ意味を持たなくなるかもしれないし、また、時の政策テーマに応じて離合集散するアドホックな政党のあり方も出現するかもしれない。変化の行方は容易に予想はできないが、政治家との距離が近づいていく中で、有権者にはさらなる賢明さが求められていくのだろう。